healing space Enya

知りたくないことを知るって、辛い事もあるんだよね

お問い合わせはこちら ご予約はこちら

知りたくないことを知るって、辛い事もあるんだよね

知りたくないことを知るって、辛い事もあるんだよね

2016/05/26

霊視について

(ウィキペディアから一部引用しました。)

霊視(れいし)とは、霊的に見ること、つまり肉体的な感覚器は用いずに見ること、あるいは霊的な存在を見ることである。
こうしたことに特に秀でた人は霊能者と呼ばれている。

美輪明宏が自著でこれについて説明している。 美輪明宏は、霊能者が「霊を見る」と表現することについて、以下のように説明した [1]。

「霊を見る」というのはどこで見るかというと、大脳のスクリーンで見ているとし[1]、ちょうど、夢というのが肉眼を用いずともはっきりと映像として見えるのと同じことだという[1]。

霊能者によって見え方というのは様々であり、異なっているという[1]。霊能者といわれる人たちの多くは、目を半眼にする(少しだけ開ける)かあるいは閉じると、大脳のスクリーンに映った映像を読むことができる[1]という。そうしておいて、そのスクリーンに映った映像で判断をする[1]という[2]。これが顕著にわかる人を我々は霊能者と言っているのだという[1]。

夢を見ることができるということは、すでに霊的な能力を持っているということだ、と美輪明宏は説明した。ただし、それを信じることができるかできないかが問題なのだという。ほとんどの人は「夢だから信じない」と思ってしまったり、「変な夢を見たわ、正夢かしら」と思う程度でそれを忘れてしまう[1]。そのようにして人々は自分たちの能力を見過ごしてしまっている、というのである。

目の開きかたについて、美輪明宏は次のように説明した[1]。仏像を例に挙げ、目を開いているのはお不動様か仁王様くらいのもので、「他の仏様というのはほとんど半眼で、目を半分だけ開いています」と示唆した[1]。(ちなみに霊視しようという時には半眼にするのがコツだということについては、美輪明宏はテレビ番組『オーラの泉』に出演中にも述べたことがある。半眼にして25メートルほど先をぼーっと見ているとやがてそうした映像が見えてくる、といった主旨のことを視聴者に対して説明した。)

霊視に様々な見え方があるということに関しては、まるで実際の肉眼で見えるような見え方をする霊能者もいれば、まぼろし(イリュージョン)として見える霊能者もいるという[1]。
美輪明宏自身の見え方に関して言えば、ちょど普通の人が《思い出す能力》を持っているように、思い出している時と同じような見え方がしているという。例えば読者がパソコンの画面を見ている時、肉眼は画面を見ているわけだが、それでも「小学校の時の音楽の授業風景を思い出しましょう」と言われれば、肉眼ではなく脳のスクリーンに音楽の授業を受けていた時の教室の風景がはっきりと映る。「霊を見る」とはそのようなものだという。

また、霊の声が聞こえるという場合でも、その声というのは(肉の)耳で聴くのではないという。上の音楽の授業の例で言えば、授業を思い出せば、学校の好きだった先生、嫌いだった先生や、子供たちの声がしっかりと聞こえることに言及しつつ、「 それはどこで聴いているのでしょう 」、と美輪は読者に熟考を促している。

さらに、こうした説明をしても理解できない読者の理解を促すため、美輪明宏は霊を見ることを《タイムスリップする》とも表現していると述べた。ちょうど《思い出す》行為が時間を超えて大脳のスクリーン上に現出させるように、霊の世界には時間と空間が無いから、霊を見ることはいわば時空を超えるということであり、霊を見ることというのは、肉体はここにあるけれども瞬時にして時間を超えて思い出すということ、と説明した。

なお、実は人間にはそういう能力があるというのに、人間というのはそうした能力のことは何となくボンヤリと、ただいい加減に思っているだけだし、科学者もしっかりと研究しようとも思っていない、と美輪明宏は指摘した。


~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆

私の第3の目で視ること。
それは「霊視」という類の力なんだと、今更ながら理解した。

 

いつの日か開花したその力を、これまで何と表現したり呼んだりしてよいのか
正直分からず、思い悩み、苦しできた。



テレビに出ている有名な霊能者さんは、知名度もあるから賛否両論あれど、
多くのファンもいるでしょう。
しかし、中には否定的に捉える人々も多いし、きっと名声だけでなく、
大変な苦労もあるでしょう。

自分の提供している能力について、今一度WEBという広い情報網の中で、
何に類しているのか、ググってみた。
その中で、ウィキペディアを抜粋してみたけど、文中の美輪明宏さんのお話しを
読んでいると、まさに、同じ感覚でビジョンを視ていることを発見。

本当に今更なんだけど、自分が視せてもらっているのは「霊視」というものなんだと
ここにきて、初めて理解した。

名声多き存在ではない私は、著名人の方々には比べ物にならないけれど、
この能力のお陰で、素晴らしい思いや体験ももらったが、辛くて苦しいものも
もらっている。

この力は、誰もがもっている力だと思う。
ただ、鮮明だったり、強く感じることが出来るか出来ないかという中で、
力がある・ないという判断基準になっているだけだと思う。

私の視る力もいつまで持っていられるか、もしかしたら開花したときのように、急にその力が
無くなることだってあるかもしれない。
辛い事があるなら、その力を封印することだって可能なんじゃないか?って思う人もいるか
もしれない。

でも、辛い事があるが故に、人のお役に立てたとき、手助けや背中を押してあげる切っ掛けに
なれた時の喜びがあるからこそ、自分のことを否定しないで済むことに繋がっていたりする。
人助けができたとき、自分も救われていると感じる。

もしも、自分が授かった力を恨み、そんな信憑性のないものと馬鹿にしてしまったら、
自分自身を否定することになるし、到底自分なんか好きになれない。
よくお客様にも言うけれど、これが全てではないし、

参考の一つ。一つの考え方。一つの道しるべ。だと。

もちろんご来訪くださる8割以上ののお客様が(9割と言いたいけど。笑)、私を信じて頼ってく
れているけど、「その考えはありえない。おかしい。」という否定的な心で感じるのではなく、
「そういう考え方もある。そうかもしれないよね。」という柔軟な心で感じることで、
その考えはさらに広がりを見せてくれたりする。

人が「助かった。ありがとう。」と声をかけてくれることで、
自分も授かった意味を見出すことが出来る。

だから続ける。この仕事を。
だから続けられる、辛いことがあっても。

私の思い悩んだ苦しみとは、まったく違う悩みを持っている人たちも、
自分を信じて認めてあげる事から、問題解決が見出せるかもしれない。

 
自信をもって突き進め。
 
私たち一人一人が素晴らしい何かを必ず持っている。
 
持っていないと感じるなら、掴み取ればいい。

当店でご利用いただける電子決済のご案内

下記よりお選びいただけます。